浜松まつり ホーム > 凧揚げ合戦 > 参加町凧じるし

あ行

  • 相生町(あいおいちょう)

    相生の地名は、夫婦が深い契りと愛情によって共に長生きすることを意味している。凧印は、町名にちなんで「相」を赤色、「生」を青色で図案化した。

  • 葵西(あおいにし)

    昭和61年度に初参加。それ以前にも、この周辺地域にも大凧揚げの慣習があり、その凧印に用いられていたのが「葵」の文字だった。

  • 葵東(あおいひがし)

    当町に葵東照宮があることから、徳川家の三ツ葉葵の家紋を使用することになった。「東」を略字にして三ツ葉葵の右上隅へデザインした。

  • 浅田町(あさだちょう)

    大正初期までは花札の「あやめ」の絵凧であった。現在は浅田の「あ」を中心に「田」を右上と左下に分けてデザインしたものである。

  • 小豆餅(あずきもち)

    三方原合戦の地に今も残る小豆餅、銭取の地名から、餅つきの杵を中心にして左右へ一文銭を配し、小豆餅の小の字をデザインした。

  • 有玉西南北町(ありたまにしみなみきたまち)

    有玉連の凧印「有」は有玉神社と関わりがあり、由緒ある有玉神社の「有」の字を頂き、有玉連の凧印とした。

  • 安間町(あんまちょう)

    安間町の由来は、鎌倉時代から安間という御名で古文書にみえており、伊勢神宮の神領であった。凧印は、安間町の頭文字を取ったものである。

  • 飯田町(いいだちょう)

    町内から案を募集し、飯田町の凧印は、頭文字の「い」を全体に大きくし、「田」の字をバックデザインとして使っている。

  • 池町(いけまち)

    大正末期まで、昔の池町消防団のまといの印、豆腐と団子であったが、現在は芳蘚寺の催しに使う五色の幕を凧印として使用することにしている。

  • (いずみ)

    泉の周辺が銭取であったことから、昔の銭印の一文銭を凧印にし、町名の「泉」の文字を配した図柄としている。

  • 板屋町(いたやまち)

    「わつなぎ」印と呼び、輪は「人の和に通じて町民仲良くするもの」であり、つながった輪の両端が切ってあるのは限りなく続く意を示す。

  • 市野町(いちのちょう)

    町名の由来は、昔ここに市が開かれていたためとする説が有力である。凧印は、「市」の牡丹文字を基本に図案化した。

  • 入野地区(いりのちく)

    時の引間城主飯尾豊前守の長男、義廣公の誕生祝い、入野村の住人の佐橋甚五郎の発案でその御名を大凧に配し、城中高く揚げたことに由来。

  • 植松町(うえまつちょう)

    町名に表されているように、町内には今でも松の木が植えてある家が多い。平成2年に復活参加する時も、この「三蓋松(さんがいまつ)」を凧印に採用した。

  • 瓜内町(うりうちちょう)

    戦前より、この地域に先駆けてまつりに参加して大凧を揚げた。片仮名の「ウ」であった、「瓜」の感じを出すために凧印は、仮名の「う」に変わった。

  • 江之島町(えのしまちょう)

    白色は、浜松まつりに初めて参加したときの初心を忘れることなく、赤色の「江」は町民の浜松まつりに対する熱い想いと、強い結束、及び町の更なる発展を表している。

  • 海老塚町(えびつかちょう)

    大正15年5月発行の浜松名物凧案内という小冊子に記載されている印にはエの背景に右肩から左下にかけて2本のラインが描かれていた。

  • 遠州浜町(えんしゅうはまちょう)

    町内住民及び地元中学生に、凧印図柄の公募を行い、他町の凧印と識別し易く、青空に映え、住民が親しみを持てる等の選考基準で選定した。

  • 追分町(おいわけちょう)

    追分けの凧印は「旭日旗」、「兜」、「を」、「追」と変化してきた。凧が揚がると見分けにくいとの理由から、現在の印になった。

  • 大山町(おおやまちょう)

    大山の地名は昔この地に大山寺(大仙寺)という真言宗の寺院があったことに由来する。大山町は緑にあふれ、町を愛する気持ちから町名の「大山」を凧印とした。

  • 大蒲町(おおかばちょう)

    大蒲を中心とする一帯は平安時代には蒲が生い茂った湿地帯であった。大蒲町の凧印は、凧一杯に「蒲」の一字を大きく力強く描いている。

  • 卸本町(おろしほんまち)

    参加当時は「HOC」(浜松卸商センター)のマークを使用していたが、昭和53年から卸商団地の「卸」を表現することに変更した。

  • 尾張町(おわりちょう)

    尾張町の「尾」を太字とし、片仮名の「オ」を亀甲に8字を蒔め「り」で継ぐ法被の柄から凧印とした。

  • 恩地町(おんぢちょう)

    大田家は、私費をもって安間家の租税を代納した。これを聞いた今川氏は恩を受けた土地、恩地村と命名した。凧印の「恩」はこの町の沿革を示している。

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か行

  • 鍛冶町(かじまち)

    浜松城内の鍛冶屋敷に住んでいた鍛冶師達を集団で東海道筋の町裏に移した所が鍛冶町となった。「か」は町名の頭文字。

  • 金折町(かなおりちょう)

    金折町は天竜川の下流が幾筋にも分かれ、狭まっていた村里であったという説と宇津志田金折命が住んでいた土地から命名した説とがある。

  • 上新屋町(かみあらやちょう)

    当町はその昔、縁台将棋の盛んな時代があった。当時は多くの棋士を輩出し、周辺地域での対戦では負けを知らなかったと言い伝えられている。

  • 上石田町(かみいしだちょう)

    上石田町は古くから水田が広がり今でもその面影を残している。秋には黄金色の稲穂がたわわに実り波打つ田の様に力強い石(意志)を中心に上(天)に高く昇る町民の心意気を図案化している。

  • 上島町(かみじまちょう)

    上島町の凧印「上」は、初子が五月の空に天まで揚がる凧のように、たくましく成長してとの願いを込め、上島町の一字「上」をとって定めた。

  • 神田町(かんだまち)

    以前は浜名郡可美村明神野と呼ばれ、「神様が創造し守護している有り難い土地である」という伝承があり、「神」の字を大きく一杯に描いたものである。

  • 上西町(かみにしちょう)

    上西町の氏神である富士神社の御神紋を示し、天狗の追い風に乗り青空へ舞い揚がるようにとの願いが込められている。

  • 亀山(かめやま)

    町名にちなんで縁起の良い「亀」の字に、弓矢の矢をヤと読み、矢の先端にマを記し、亀山町とした。

  • 鴨江町(かもえちょう)

    可の字を変体かなで書くと「─の」となったのが、原形になっていると思われる。

  • 鴨江北町(かもえきたまち)

    昭和60年の「─の組」からの分離独立参加を機に、町民から寄せられた図案を基に決定した。

  • 北田町(きたたまち)

    凧印は、葺きおろし「しころ」に大鍬形、面鉄を配し図案化した。端午の節句、なお武にちなんで勇壮な凧印として兜を凧印としている。

  • 北寺島町(きたてらじまちょう)

    大字寺島の大部分に、北馬込、新、浜松寺島、浜松八幡地の一部、それに紺屋や肴の飛地を含めて新しく出来たのがこの町である。

  • 木戸町(きどちょう)

    浜松城下、外木戸、内木戸があった時に木戸町の町名がつけられた。木戸町の頭文字の「き」である。

  • 倉松町(くらまつちょう)

    凧の絵柄は町の頭文字「く」を海浜一帯に群生する松の老樹で囲み、松の緑を取り入れ文字を赤色で表したものである。

  • 元目町(げんもくちょう)

    初子が元気に育つようにということで「元」の字を真ん中にした。凧揚げまつりを実施するようになってすぐ参加した伝統ある町である。

  • 小池町(こいけちょう)

    昔、小さな池があったといわれ、池に生息する生物から鯉を選んだ。鯉は淡水魚の王者であるので、参加町内の中で王者といわれるようにしたいと考えた。

  • 神立町(こうだちちょう)

    浜松地方最古の社、蒲神明宮の神紋と町名「神立」の文字をデザイン化したもので、町民になじみ深いものである。

  • 紺屋町(こうやまち)

    紺屋町の消防隊が昔大変活躍をしてその褒美に鳥兜を賜り、消防の馬簾の頭に使用していた。遠くに揚がった時、分かりやすいように、「コ」に変更した。

  • 小沢渡町(こざわたりちょう)

    凧印は、赤は太陽、青は空を意味し、正方形の升目は小沢渡町の益々の発展を祈願する意味から、このような印になっている。

  • 湖東町(ことうちょう)

    凧印の「湖」は、浜名湖の湖と町名でもある湖東町の湖をとって、ひげ文字で表したものである。

  • 子安町(こやすちょう)

    町内の子安神社にちなみ名付けられたと思われる。御神体は子宝に恵まれるといわれる木之花ノ佐久夜姫のこと。

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さ行

  • (さいわい)

    町名の由来は、町域の中に幸西山という山があったことや、幸を願う住民の気持ちを踏まえて幸町とされた。

  • 栄町(さかえまち)

    栄町は、明治15年に鴨江小路の一部として大堀新地、白山下の三つの小字が一緒になって栄となった。「サ」の字は白の中の紺色と鮮明にした。

  • 肴町(さかなまち)

    元魚町にある松尾神社の社紋の日鶴を肴町の凧印としている。松尾神社は、最初浜松城内で守護神として祀られている。

  • 篠ヶ瀬町(ささがせちょう)

    昔、天竜川の瀬にあった頃一面の笹が生い茂っていたところから名付けられたと言われてる。昔の笹ヶ瀬町の文字の笹を凧印と決めた。

  • 佐藤西南(さとうせいなん)

    佐藤町の「さ」と「藤」を丸くあしらったもので、町民全員が丸く仲良くそして町が発展するようにとの願いを込めたものだといわれている。

  • 佐藤中町(さとうなかまち)

    当町の凧印は変体仮名「さ」の斜上下に藤の花が入っていた。町名が分かれてからは、町の頭文字を変体仮名にしている。

  • 佐鳴台(さなるだい)

    浜松城主徳川家康の正室、築山御前鎮魂(般若心経)を念じつつ、ゆかり深き女性の喜怒哀楽を表現するという般若の面を使用している。

  • 佐鳴台一丁目(さなるだいいっちょうめ)

    佐乃一組が凧揚げ会場に挑む心境を、矢立の中にある一本の矢羽根を我が町のシンボルにみたて、これを凧印とした。

  • 参野町(さんじのちょう)

    当町の津毛利神社に三つの神社、津毛利神社、須賀神社、御手洗神社が祀ってあり、昔は三神野町と呼ばれていた。それがなまり、参野町と呼ばれる。

  • 三和町(さんわちょう)

    「さ」の字は三和町の頭文字で、斜めの三本線は、浜名郡飯田村といわれた時代の福増、小松方、西之郷の三つの字を表している。

  • 塩町(しおまち)

    塩商人たちが、この町に住んでいたため塩町と呼ばれた。 不祝儀の時は士の下に心を書くので、縁起をかつぎ心を点の結びつきとして使用する。

  • 蜆塚町(しじみづかちょう)

    当町は、蜆塚遺跡をもって代表される町である。浜松市民のルーツがこの里において生活していたのである。凧印は、蜆塚の「蜆」を取り入れたものである。

  • 十軒町(じっけんちょう)

    十軒町は馬込川を挟んで、東西両岸に町並みがあるために、三本線は馬込川を表し町内の発展を情熱の赤の、「十」の字で表現している。

  • 篠原地区(しのはらちく)

    外枠は太平洋の紺碧の色。内側の丸は参加組員の心意気を示し、篠原地区の篠を「し」としている。

  • 四本松町(しほんまつちょう)

    この町の熊野神社の境内に四本松の由緒が刻まれた石碑が建っている。その松が四本松と呼ばれて町名となった。凧印はその「四」をとって印とした。

  • 下飯田町(しもいいだちょう)

    当町は天竜川に隣接した地域にあり、水を治めるものとい う発想から、当町の凧印は龍とし、龍の絵柄を凧印としている。

  • 下池川町(しもいけがわちょう)

    凧印は、大正末期から昭和44年頃まで、「イK川」と大正時代には珍しい図柄であったが、揚がった場合「K」が細く、見にくいため、池川の「イ」とした。

  • 下石田町(しもいしだちょう)

    凧印は明治時代に駆けつけ組(消防隊)の印に、当時興行した一座の紋を取り入れイ菱を使っている。

  • 白羽町(しろわちょう)

    白羽の矢を村人たちは宝物として保存した。以来この地は 白羽と呼ばれ、浜松まつりには「白」の字を「羽」で抱きかかえている凧印が使われている。

  • 新町(しんまち)

    新町には米の仲買人が多かったため、「※」(江戸時代米屋の商標)の図案を用いていた。「七転び八起き」のことわざにあやかって「だるま」の図案に変更した。

  • 新津町(しんづちょう)

    町名の由来は、刀工志津三郎兼吉がこの地に土着したことから志津がなまって新津の地名がつけられたといわれている。凧印は新津町の「新」の字を使用。

  • 助信町(すけのぶちょう)

    信町は昭和11年に初参加して以来、町名を取って「助」の字を凧印としている。

  • 頭陀寺町(ずだじちょう)

    天下人太閣秀吉となるの出世話にあやかり、ひょうたん印 で初子の将来の幸運と出世を祈り、町民には人との語らい和の意を込めている。

  • 砂丘町(すなおかちょう)

    「砂」の文字をひげ文字として遠州灘の雄大なる波を表し、子供の成長を天まで上がれの願いを込めて凧印とした。

  • 砂山町(すなやまちょう)

    凧印は、参加当初は「す」であったが、明治の中頃から新富院のお稲荷さんの狐にあやかり、狐を愛嬌のある図柄にした。

  • 住吉(すみよし)

    凧印は住吉町のはじめの文字である平仮名の「す」を採用しようとしたが、中島諏訪が使用していたので、片仮名の「ス」にした。

  • 西伝寺町(せいでんじちょう)

    町名の由来は、浄土宗の古刹西伝寺の寺号が、そのまま地名になった。凧印は、西伝寺の「せ」を平仮名で表したものである。

  • 早出町(そうでちょう)

    早出という地名の由来は、明確ではないが、俗説としては、村人が勤勉で、朝早くから田畑に出て農作業にあたったためといわれている。

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た行

  • 田町(たまち)

    遠江分岐稲荷神社は、田町の氏神様として町内に鎮座している。この分岐稲荷神社の神印である光林寺(棒持の玉)の紋を図案化したものを使用している。

  • 大工町(だいくまち)

    当町の凧印は、昭和30年代半ばより、町名から取った字凧である。それ以前は、一つ巴の絵凧だった。

  • 高町(たかまち)

    高町の豆菓子を専門に製造販売する評判堂という店の商標が「おかめ印」であった。豆屋のおかめなら絵柄も派手で目立つであろうと登場した次第である。

  • 高丘(たかおか)

    誰にでも高丘の凧だと識別できて、なお既参加の先輩町と同じ図柄(高・た・タ・絵)とならないように苦労した。

  • 高林町(たかばやしちょう)

    高林という地名はおそらく三方原丘陵の小高い台地の上に広がる小松林にちなんで付けられたものであろう。凧印は町名の頭文字「た」を図案化したものである。

  • 立野町(たてのちょう)

    立野町は、天竜川の渡船場として、栄えた歴史上由緒ある町である。立野町の頭文字、「立」を力強く描いたものである。

  • 千歳町(ちとせちょう)

    この地方きっての古社松尾神社が氏神である。御身体を守護する猿田彦命つまり天狗様をもって他町の凧を威圧せんと若衆の意気衝天の心をよく表している。

  • 都盛町(つもりちょう)

    都盛町の凧絵は、最もシンプルな平仮名の「つ」がシンボルマークである。平成7年度に初参加でスタートした。

  • 寺島町(てらじまちょう)

    昭和22年に寺島町有志で、「テ」として参加以来、現在に至っている。赤下地に白抜きの「テ」であった。現在は、白下地に赤文字のテの2種類となっている。

  • 寺脇町(てらわきちょう)

    寺という字を赤で大きく描き出し、稲穂がその字を浮き出している。寺の字は町名の頭文字である。

  • 天神町(てんじんまち)

    通称「ヨコテン」は、明治からの長い歴史を持つ。「ヨコテン」の凧は軽いし、よく揚がると…、さすがに伝統の凧だと言われる。

  • 天王町(てんのうちょう)

    天王町の花火大会の熱気をイメージするとともに、この心意気を日本の代表的演劇歌舞伎で超人的な英雄や神仏の化身を表す隈取りにイメージし、「天王」の文字を表現した。

  • 伝馬町(てんまちょう)

    当時の印は、平仮名の「て」であり、町名の頭文字である。 その後大空に白抜きの「て」が鮮明だからということで、青字に「て」の白抜きに統一された。

  • 天竜川町(てんりゅうがわちょう)

    天竜川を凧印とするのが分かりやすいのではないかということで、決定された凧印が「天龍」である。

  • 利町(とぎまち)

    現在の印はタテ中心にまっすぐに描いてあるが、大正末期の写真には斜めに形どった凧絵であった。

  • 常盤町(ときわちょう)

    常盤町ト組の町民が、和をもって結びついている事を表すために、「ト」に輪つなぎを描いたものと思う。

  • 富塚町(とみつかちょう)

    富の字(赤色)は、富塚町の富を意味している。

  • 富塚町北(とみつかちょうきた)

    武田勢が攻めてきた折、驚きあわてて鯉の片方を食べ片方の身はそばの池の中に捨てた。片身の鯉は出世して、佐鳴湖の主になったということである。

  • 富塚町西(とみつかちょうにし)

    「弥」の文字を蝶にデザイン化した「生」で丸く包む様にし、町内の安泰と融和を念願し凧印とした。

  • 富吉町(とみよしちょう)

    戦前は、自治会青年会でいろいろ思いつきなどで、凧印が決まり使われてきた。昭和32年から、現在の二ツ巴を凧印として使っている。

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な行

  • 中沢町(なかざわちょう)

    凧絵は何よりも他を圧するほどの力強さや、ハッタリも大事な要素の一つであり、当時考えられたのが町火消し連の血気盛んのシンボルである纒を画したもの。

  • 中島町市場(なかじまちょういちば)

    昭和23年以降、毎年参加している。最初の凧印は斜めに市の字を書いた物だったが、浜松市の凧と間違えられる事もあり、昭和38年に現在の中島町の中島を斜めに書いた物が中島市場の凧印となった。

  • 中島町諏訪(なかじまちょうすわ)

    諏訪町の「す」という字を中心に置き、「わ」という字を8つの輪に表し、連帯と調和を兼ねて凧の印としたのが、中島町諏訪の凧印である。

  • 中島町本町(なかじまちょうほんまち)

    外側に中島町の「中」を、内側に本町の「ほ」のデザインに決定し、それがほん組の凧印になっている。

  • 中田町(なかだちょう)

    中田町は小さな町であるため、町をアピールする意味から、町名を凧印にした。

  • 中田島町(なかたじまちょう)

    凧印は、平仮名で子供でも覚えやすく、52軒当時の仲間意識を表し、未来に向かって大きく羽ばたくよう、凧いっぱいの文字とした。

  • 中山町(なかやまちょう)

    種々の事情により町内が上下二つに分かれ、別々の凧印で2枚の凧を揚げていたが、統一し分かりやすい中山町の頭文字片仮名の「ナ」にしたようである。

  • 名残町(なごりちょう)

    凧印は名残の「名」の文字をデザイン化したもので、当時「ハイカラ」、「落ち着きがある」と好評であった。

  • 茄子町(なすびちょう)

    凧印は茄子町の「茄」の一文字を取り、凧も法被も茄子紺の色に統一している。

  • 名塚町(なづかちょう)

    名切、塚越の二つの字が合併し名塚町となった。また、二つの字の神社を合祠して奈津賀神社とした。神社の頭文字の奈の字を凧印としている。

  • 平田町(なめだちょう)

    琉球の使者が、琉球王妃の緋扇を江戸将軍家に献上する際、当地で病死し、その遺品であった緋扇を凧印として使っている。

  • 成子町(なるこちょう)

    菱形に「成」の字。菱形のいわれについて、いろいろと言い 伝えられているが、現在これを立証する者はいない。

  • 南栄(なんえい)

    「南」は自治会名、三本の斜線は馬込川で、瓜内、法枝田尻の三町の住民が協調してふるさとをつくりたいという願望を象徴したものとなっている。

  • 西町(にしまち)

    西町の「に」を表している。「に」という字は、簡単で形がよく、凧に合う。空高く揚がった時、はっきり見えることから、「に」を凧印に決めた。

  • 西伊場町(にしいばちょう)

    誰にでも分かる文字で、町名を端的に表す「西」の文字を凧印に決めた。

  • 西ヶ崎町(にしがさきちょう)

    西ヶ崎町は、旧浜松市の最北に位置し、浜松を災いから守り、市民の幸福と豊作を祈願し、毘沙門天を絵柄にしている。

  • 西上池川(にしかみいけがわ)

    町内のあちらこちらに桜の木があり、特に神明宮の境内の桜の花びらを使用した。花びらの真ん中に池川町の池を抱えた絵凧にした。

  • 西島町(にしじまちょう)

    赤と青の白抜きで町名を、赤は町民の情熱を、青は雄大な遠州灘、天竜川を表し黄色は太陽の下で、住み良い町づくりを願う気持ちが込められている。

  • 西菅原町(にしすがわらちょう)

    西菅原町は菅原道真の「菅」を凧印として、凧揚げに参加している。

  • 西山町(にしやまちょう)

    頭文字「ニ」の文字が一番シンプルで、凧が大空に高く舞い揚がった時、はっきり見えるという理由で決めた。

  • 新橋町(にっぱしちょう)

    その昔、この地の北は沼地が広がっていて、東海道筋に出る交通の妨げになっていたため、新しく橋を架けた事が、町名の由来であると言われている。

  • 布橋北(ぬのはしきた)

    飛可羅寿(ひからす)の絵凧は、名残町の凧として、昔より揚げられていた伝統の凧である。これは神のお使いのからすなのだという話が凧の絵柄となっている。

  • 布橋南(ぬのはしみなみ)

    空に上がってしまえば簡単ですっきりした方が良いという ことで、白地に赤の、「布」印に決まったものである。

  • 野口町(のぐちちょう)

    野口は曳馬野の入口にあたるとされている。凧印は、野口町の頭文字を平仮名で表したものである。

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は行

  • 萩丘(はぎおか)

    その昔、三方原台地には萩の花が咲き乱れていたと言われ、萩丘の凧印は、このようないわれと、町名の「萩」の字を大紋に図案化したものである。

  • 旅籠町(はたごまち)

    町名の由来は、旅籠の町のことであったから、当然のことである。凧印は、桔梗が町の定紋となり、それを用いている。

  • 八幡町(はちまんちょう)

    明治の時代から、八幡町の凧印は、八幡宮の堤灯にある親子の鳩で八の字を表し、鳩八と言われていた。昭和の初めに太陽に向かって羽ばたく凧印となった。

  • 初生町(はつおいちょう)

    町名の初生町の「初」を採用している。「初」からイメージされる言葉は初子、初凧と、浜松まつりの起源そのものである。

  • 初生町北(はつおいちょうきた)

    凧印は、町名の「初」と自治会区分の「北」を表している。

  • 早馬町(はやうまちょう)

    早馬町は遠い昔から「は」の字は紺で、右肩から赤い矢が斜め下にが図柄である。

  • 原島町(ばらじまちょう)

    真ん中に赤い薔薇の花、斜めに緑の2本線で原島と表現している。

  • 半田山(はんだやま)

    半田町の半田山に開かれた半田団地自治会の「半田」を図案化したものである。

  • 東伊場(ひがしいば)

    町火消し「いろは」の一番目の文字で非常に活気あふれているということで、「い」が受け入れられた。

  • 東上池川町(ひがしかみいけがわちょう)

    戦前は「池」を小さく「川」を太く、大きく、朱色とし、上に 昇ってもよく目立つようにした。戦後は「池」を大きく し、池川と目立つようにした。

  • 東菅原町(ひがしすがわらちょう)

    菅原町の氏神様である天満宮に起因している。町民の繁栄と町内の安全を願って天満宮の紋所である梅鉢にあやかり決定したと言い伝えられている。

  • 東田町(ひがしたまち)

    田町、北田町と共に、当町も田町の稲荷神社の氏子であったため、稲荷神社の宝珠と東田町の「東」を組み合わせたものである。

  • 曳馬町阿弥陀(ひくまちょうあみだ)

    徳川家康に由来する。三方原合戦で敗れた徳川軍は、武田軍に追われた時、中沢町常楽寺の仏像を持ってきて川に沈め橋の代わりに使い浜松城に戻った。

  • 曳馬町金屋(ひくまちょうかなや)

    図柄の丸に五瓜に唐花は、当町内の氏神様八坂神社の紋であり、これに「曳」の字をあしらったものである。

  • 曳馬町本郷(ひくまちょうほんごう)

    曳馬町の「曳」に右肩に草書体で本郷の「本」をあしらい、雄大さを表した。

  • 曳馬町三浦(ひくまちょうみうら)

    三浦の小字は、現在自治会の名前にその名を残し、凧印はその名前を伝えるものになっている。

  • 曳馬町宮(ひくまちょうみや)

    「曳」と「宮」の二文字を凧印の基本と考え、一番二文字が目立つ字の位置、また大空に揚がった時にも自町の凧が分かりやすいようにとデザインした。

  • 百里園(ひゃくりえん)

    地名の百里園を表だて黄色は園をデザインし大きな輪の中に和をもって一丸となり赤く燃える百のエネルギーによって我里から空高くと願って図案した。

  • 広沢町(ひろさわちょう)

    広沢町の「ひ」である。曹洞宗の僧、華蔵義曇が建てた寺を、広沢山普済寺としたことに起源があると思われる。

  • 船越町(ふなこしちょう)

    馬込川の中流にあり、馬込川の渡し船の仕事をしてきた人たちが居住していた。その由来にちなんで船越町といわ れ、凧印も「船」を取り入れた。

  • 文丘町(ふみおかちょう)

    文化施設が多いことから、住民の投票で文丘(ふみおか) と名付けられた。この町名の「ふ」を取って、法被や凧の印に用いている。

  • 芳川町大橋(ほうがわちょうおおばし)

    芳川村と命名した由来は、この地の中央に芳川という川が流れていたからである。町名の頭文字である「芳」を凧印とした。

  • 芳川町神出(ほうがわちょうじんで)

    神出組は高町組の指導を受け育った。そこで(おかめ組)にあやかり、ひょっとこ(火男)に決めたものである。

  • 細島町(ほそじまちょう)

    凧印は、細島町で「細」という字をとったもので、これは町内から凧印の募集を行い、決定したものである。

  • 本郷町(ほんごうちょう)

    町民に凧印を一般募集した結果、本郷町の「本」の字を使った図柄が採用された。

  • 本郷町東(ほんごうちょうひがし)

    凧が空高く揚がった時は、はっきり見えるように町名の読 みから「ほ」を凧印とした。

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ま行

  • 馬込町(まごめちょう)

    参加する大人や子供は全員奴姿に仮装し、浜松歩兵第67連隊(現在の静大工学部)まで行った。大正5年から現在の奴の絵を使用することになった。

  • 松江町(まつえちょう)

    本馬込町時代からの氏神白山神社の社紋「右三ツ巴」。区画整理に伴う最少世帯数 7という苦境を乗り切った誇りをもって本年の凧揚祭に望む。

  • 松城町(まつしろちょう)

    「マ」の字は、昭和初期から使われていたようであるが、は っきりした記録はない。

  • 三方原町(みかたはらちょう)

    三方原の「三」を使おうとしたが、既に参加町の中にあって、使用できず、一字で天高く揚がった時、見やすい「み」にしたもの。

  • 三方原南(みかたはらみなみ)

    三方原南なので三方原の、「ミ」と、南の「ミ」を組み合わせた「ミ、ミ」と決定した。

  • 三方原町百園(みかたはらちょうももぞの)

    町民に一般募集したデザインの中から自治会名の「百園」(ももぞの)を牡丹文字で表したものを凧印として採用した。

  • 三組町(みくみちょう)

    三組町は、浜松市街を見下ろす北西の丘に位置している。この町の中心にこんもりと木々に囲まれた秋葉神社が凧印の元である。

  • 三島町(みしまちょう)

    三島町の氏神である浜松神社の祭典時に着用する法被より「三」を引用し凧印としている。

  • 宮竹町(みやたけちょう)

    蒲神明宮の屯倉(みやけ)があり、いたる所に竹林があったため宮竹と称する説がある。凧印は頭文字の「宮」を中心に、「竹」をバックデザインとした。

  • 向宿町(むこうじゅくちょう)

    地名の由来は、向州と呼ばれていたためとか、川を挟んで浜松宿と向かい合っているためなどと言われている。凧印は、向宿町の「む」の字を取り入れた。

  • 元魚町(もとうおちょう)

    もともと魚屋が多く住んでいた町であったからといわれている。大正の頃は火消し纒の中に「も」を入れた図を使用していた。

  • 元城町(もとしろちょう)

    浜松の凧揚げ合戦には、元城町は常にその中心となり、日の丸の凧印は、天下御免の意味をもつまでとなった。

  • 元浜町(もとはまちょう)

    浜松市の市章を模し元を入れた。しかし浜松市と間違えられるとの懸念からデザインを変え、右肩に大きく「元」を入れ、現在のマークになった。

  • 森田町(もりたちょう)

    昔は「森田」と凧印にしたが、高く舞い揚がると漢字の森という字が見にくいので、それからは片仮名の「モ」と斜めに「リ」を入れて、森田町の凧にした。

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や行

  • 薬師町(やくしちょう)

    薬師如来が安置する薬師堂があったところから村名となった。旧来より秋祭りに使っている、的に矢が刺さっている図柄を凧絵とする事にした。

  • 安松町(やすまつちょう)

    凧印の「や」組は、安松町の頭文字をとった。

  • 山下町(やましたちょう)

    山下町の山の字を丸くデザインした。凧が正常な向き(上向き)の時は山、逆向き(下向き)の時は下と読める。一つの凧の字で山下となっている。

  • 山手町(やまてちょう)

    住民投票で決定した町名のPRを兼ねて、町名の「山手」とし、団結を表わす意味で「手」の字を赤色とした。

  • 楊子町(ようずちょう)

    デザイン上形が整っていること、凧が高く遠く揚がった時にも識別しやすい単純なデザインであること、ということで「よ」が選ばれた。

  • 米津町(よねづちょう)

    米津町の「米」をデザイン化したもので、古くから地元の法被に使われていました。

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ら行

  • 龍禅寺町(りゅうぜんじちょう)

    昭和28年頃までは、「龍」の字は白抜きであったが、28年以降は、「龍」の字を赤一色に定め、現在に至っている。

  • 領家町(りょうけちょう)

    組名も領組なので、「領」の字をと思ったが、空高く揚げた 場合、「領」の字が分かりにくいということで「り」の字になった。

  • 連尺町(れんじゃくちょう)

    五社神社の紋が藤であったことから、五社神社のお膝元であり、氏子がたくさんいた連尺町は、「連」の字と「藤」の絵を凧印にかたどったものである。

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わ行

  • 若林町(わかばやしちょう)

    平成3年5月の浜松市合併を機に、平成9年より凧揚げに参加することになった。凧印は「若林町」の頭をとって「若」とした。

  • 若林町北(わかばやしちょうきた)

    真中の赤丸は若林の発展を願う太陽を表し、北はいつも若林を支えて行くという思いを込めている。

  • 和合町(わごうちょう)

    町名の和合を輪合(わごう)と文字って、五輪とした。

  • 和合町西和(わごうちょうせいわ)

    御所車の輪と西の字を組み合わせたもので,輪は(和)を表し,外輪を支えているスポーク は(合)を表します。『西和の輪を皆で支え合って前進して行こう』という意味がこめられています。

  • 和田町(わだちょう)

    和田町の「わ」の図柄4点を町民に回覧し、その中から選ばれた凧印を使っている。

  • 渡瀬町(わたせちょう)

    渡瀬町の頭文字「渡」をデザインしたものである。

  • 和地山(わぢやま)

    町名の頭文字の「和」をそのまま使う。和地山という地名は、和地村の入会地、(山)であったことから、和地の山といわれたことに起因する。

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参加町凧じるし